幸知あれ!

恋する人に、幸せを

「本来の自分」って?

チャオ~!

ビショーネです('ω')ノ

 

 

今回は、前回の記事

 

happygiuli.hatenablog.com

 

にいただいたコメントにお答えしていくような記事となります。

コメントありがとうございます!

 

 

 

 

 

今回いただいたコメントはコチラ

 

 

 

コメント失礼します。
素の自分を好きになってくれた相手に、
自分をよく見せようと偽るのは本末転倒ですね。
とっても納得出来る内容の記事でした。

さて、ひとつ質問させてください。

人は場面や状況に応じて、異なる
「自分」を差し出していると思うんです。
その「自分」は外界の反射体であり、
偶然出てきた「自分」とも言えます。
その偶然できた「自分」の寄せ集めを
「俺だ」「私だ」と決めつけ、
行動を制限してしまう人を多く見かけます。

主さまのおっしゃる「自分」は、
文章から推察するに、何か芯となる考え方のようなものだと感じました。
しかし、変化をしても変わらない「自分」とはどんなものでしょう。具体的な言葉にしていただけたらとてもうれしいです。

いつも楽しみに読んでいます。
これからもがんばってください!

 

さて、まずはいつも読んでくださっていること、そしてこうやってコメントを頂けることは本当にありがたいことですね。

 

幸せでございます(*´з`)

 

 

 

さてさて、では本題に移りましょう。

 

かき集めの自分

 

 

人は場面や状況に応じて、異なる
「自分」を差し出していると思うんです。
その「自分」は外界の反射体であり、
偶然出てきた「自分」とも言えます。
その偶然できた「自分」の寄せ集めを
「俺だ」「私だ」と決めつけ、
行動を制限してしまう人を多く見かけます。

 

なるほど、ものすごく深く考え、見ている方だなと感じます。

正直私はこういった視点はなかったです…

勉強になりますね。

 

ですが実際、思い返してみるとこういった方、多いなぁと感じるのは私も同じでした。

自分の分析をするために、材料としてこういった「状況によって異なる自分」を活用するのであれば、それはもう満点なのですが…

 

その「状況によって異なる自分」の寄せ集めを「本来の自分」と置き換えることは非常に危険なのではないかなと思います。

 

では、次の部分でもこれに関わって書いていきます。

 

 

 

芯となる「自分」にあるコード

 

 

 

主さまのおっしゃる「自分」は、
文章から推察するに、何か芯となる考え方のようなものだと感じました。
しかし、変化をしても変わらない「自分」とはどんなものでしょう。具体的な言葉にしていただけたらとてもうれしいです。

 

私のつたない文章でここまで推察していただけるのは非常にありがたいです|д゚)

大正解、その通りです。

 

私が言う「自分」というのは芯のようなものだと考えていただきたいです。

 

ではその芯となるものとは何か

 

私は

 

落ち着き 安心感

 

こういったものを感じられる場合が私の言う自分が出ている時

 

言葉を変えるなら、「本来の自分」である時かなと定義しています。

 

 

例えばですが、私は自分の家が大好きで、大変落ち着きます。

ゴロゴロしたり、テレビを見たり…

ごく普通ですが、一番心地よいです。

 

しかし他人の家となるとどーーーーーうしても気をつかってしまうんです。

何か悪い所があるわけではないのに、正直言って居心地は良くない。

 

これと同じものが、人間関係、恋愛においても言えるのではないかと考えています。

 

前回紹介した私の経験談はまさにこれです。(笑)

 

カッコつけて他人のまねごとをしていた時は、どこか落ち着きもなく、自分ではない自分になっているため安心ができない。

 

何より、気づかれがハンパじゃなかった(笑)

 

 

で、前のパートで取り上げた「かき集めの自分」だと、私のように、常に気をつかって生きているのが「本来の自分」だと勘違いしてしまうわけです。

 

それ、めっちゃ疲れますよ(笑)

 

なので、何よりも自分をしっかりと分析することが大事かと思います。

 

 

私の思う「本来の自分」のコードは

「落ち着き」と「安心感」

です。

 

 

ぜひ自分の中のオアシスを探してみてください。

 

以上、ビショーネでした('ω')ノ

幸あれ!